居合と舞、そして黙劇を融合させ、武士道を体現すること。

大伸流剣舞の最大の特徴は、大日本帝国陸軍 近衛師団で禁闕守護(きんけつしゅご)の任に就いた初代宗家「鈴木重俊の居合」の継承を第一義とし、「切れない刀の舞はしない」ということを念頭に置いています。 「ひとつひとつの刀の振りに正確な刃筋が立つことで、初めて日本刀に武士の魂が乗り移ると考え、さらに詩吟の意味を十分理解した上で、「舞」と「黙劇」を融合させ、気迫溢れる剣舞を成立させる。」 それが大伸流剣舞の本懐です。

宗家挨拶

三代目宗家 内藤 重徳

西郷隆盛は、明治十年に亡くなりました。
 意外と知られていませんが、その頃すでに日本は近代化が進み、新橋と横浜間には鉄道が走り、西郷も開業式典列車の4号車に乗車しています。また、瞬時に情報を遠方に伝えられる電信も普及していました。武士は、廃刀令で刀を召し上げられ、戦争も西洋の軍隊色を色濃く反映しました。西郷が、武士の誇りをかけて戦った西南戦争でも近代戦が繰り広げられました。西郷が負けたことで「ようやく武士の時代が終わった」と囁かれ、日本は、思想的にも歴史的な変貌を遂げました。
 その後日本は、富国強兵の国策に乗り大きく飛躍し日露戦争に勝利しましたが、太平洋戦争では苦杯を喫し、とうとう日本には軍人も武士もいなくなりました。それが良いかどうかは別問題として、どんなに科学技術が進んでも日本人の心の中に連綿と引き継がれていかなければならないものがあると思っています。それは、彼らが胸に秘めていた「武士道」です。
 新渡戸稲造は、「武士道」を「その表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」と一般化し、かつ、今もなお存在し続ける道徳体系として位置づけています。
 私は、およそ本物の武士には遠く及ばない人間ですが、私が剣舞をやる理由は、未来の日本を憂いて散っていった明治のラストサムライが、胸に抱いた大和魂を体現したいからです。彼らが我が身に乗り移り、剣舞を通して、「明治初期に昇華した武士道」を伝えてくれたらと思っています。わかりやすく言えば、武士道のパントマイムといったところでしょうか。
 その境地は遠く、まだまだですが、一生懸命に精進しようと思います。
 そして、その剣舞を次の日本を支えていく若者に託していきたいと思います。

三代目宗家 内藤 重徳 経歴

1963年05月 静岡県清水市に生まれる
1966年05月 剣舞初舞台(清水市民文化会館)
1972年01月 初伝 
1972年01月 二代宗家より重徳を名取る 
1973年08月 静岡県剣詩舞コンクール優勝
1974年08月 静岡県剣詩舞コンクール優勝
1975年08月 静岡県剣詩舞コンクール優勝
1976年08月 全国剣詩舞コンクール4位
1978年01月 中伝
1982年08月 中華人民共和国 北京公演参加
1984年06月 オーストラリアオペラハウス公演
1992年12月 奥伝
1995年06月 中華民国公演参加
1997年04月 免許皆伝
2015年04月 スペイン国立劇場公演
2018年10月 大伸流三代目宗家襲名
2019年05月 台湾台北公演
2019年12月 フランスパリ公演参加